亡き赤ちゃんへ届ける言葉。

2024.04.30

亡き赤ちゃんへ届ける言葉。

霊源院が水子供養を勤めさせて頂いて、早20数年が経ちました。

以前にもお話し致しましたが、水子供養を多くの皆さんへお声掛けさせて頂くようになりましたのは、長らくお付き合いを頂いておりました檀家さんから「先祖のお供養はご住職と共に日々努めていますが、随分と前に失いました水子さんのお供養は今日まで致しておりませんでした、今からでもお供養を致したいのですが」という真摯なお気持ちの吐露を頂きましたことがきっかけです。

その檀家さんで先祖回向に続き、随分と前に失われた水子さんのご回向を致しますと、奥さんが涙ぐみながら感謝の気持ちをお伝え下さいました。

縁があり嫁がれたお家のご先祖を当たり前に懇ろにお供養を継続なされているお方です。

ご主人もご自身のお亡くなりの両親を懇ろに祀られている奥さんの深い先祖を敬う心持には常に感謝致していると聞いておりました。

奥さんは先ずご主人のご先祖のお供養をと思い日々努めておられましたが、そのような中若い時に縁を繋ぎたくても縁を繋げなかった水子さんのことを久しく思いつめておられたのです。

毎月のお仏壇でのお勤めの時、ご先祖への回向(自分たちの先祖への感謝の気持と、お経の功徳を先祖に回らせる)の後、水子さんへも回向を致しますと、本当に喜んで下さり、感謝のお言葉を頂きました。

その、経験から、檀家さんではなくても、告知を致すことで多くの皆さんにお供養をする大切さを知って頂きたいと思い、電話帳広告から始まり、今日のホームページにての水子供養の告知が始まりました。

勿論、お寺にとっても多くの皆さんと水子供養でご縁が繋がりますことは何より有難いということが前提としてありましたが。

本堂にて亡き赤ちゃんのお供養を致し、蓮華堂へご自身方の地蔵尊を奉安致し、お手合わせを頂きますと、どなた様も一様に安堵の笑顔となります。

地蔵尊を通してご自身方のお気持ちが届きましたことを確信なされているからと思います。本堂でお勤め致す間、亡き赤ちゃんへの想いを深く想い、焼香なされ、私の想いを亡き赤ちゃんへ届けて下さいと合掌なさります。

蓮華堂へ移動なされば、此処にお参り致し、本尊地蔵尊へ私の気持をお伝え致せば、その想いが地蔵尊を通して、亡き赤ちゃんへ届くとの強い思いがあるからこそ、日々お参りの皆さんが絶えないのだと思います。

時に頂く問い合わせ。

時に頂く問い合わせに「お供養はせずに、お堂のお参りで亡き赤ちゃんへ手合わせをするだけでも良いでしょうか」とのお問合せを頂くことがあります。

亡き故人へのお手合わせを致すことが悪いはずが有りません。

霊源院の蓮華堂、絆縁堂に限らず、旅先のお寺も含め縁の出来たお寺にて亡き故人の冥福を祈りお手合わせ致すことはなによりなことです。

しかし、水子供養のお堂で手合わせを致せば、それで供養は終わりなのでしょうか。

お手合わせ致すことで供養しましたという気持ちになることとは少し違うように思います。

「供養とは先ず自身が結べなかった縁の赤ちゃんへ届けたい言葉を想い、僧侶の読経の中、その想いを心から念じる事で、赤ちゃんへ(私の想い)が届くのです」。

勿論、お供養を押し付けるものではありませんが、先ずは、ご自身の供養の願いを伝えるフィールドへお越し頂ければ嬉しく思います。合掌